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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 虹色の我愛你(ウォーアイニー) 4


 本日の主な訪問地


故宮博物院
士林夜市
鶯歌
台華窯



きゃー、今日はとっても楽しみにしていた日!
憧れ続けていた故宮博物館へ行けるのです。もうかれこれ20年くらい図録を見ながらいいなあと思ってました。わーい、行ってきます (o^^o)ノシ



朝食はお粥


今日は食堂がやっているので、朝食はお粥。周りに置いてあるものがトッピングなのだとようやく気付いてオン。漬け物みたいなものから炒め物までいろいろあります。窓の外は快晴。今日も暑くなりそうです。


朝食会場


府中駅


今回滞在しているのは府中駅の板橋。府中だの板橋だの、日本みたいだと思っていたら、新渡戸稲造の台湾での住所も「府中街五丁目」だったと昨日資料読んでて知りました。

「府中街」がこの府中駅と関係あるのかわかりませんけど、日本っぽい地名は、昔日本人によって名付けられた所が多いようです。

この辺りに100年前日本人が暮らしていたのかもしれませんね。新渡戸ももしかしたらお近くに。新渡戸が関わった台湾糖業は万華にあったから、この辺りからなら遠くなかったと思います。

1903(明治36)年10月からは京都帝国大学の教授に迎えられ、台湾総督府糖務局長と兼任したので、あまり台湾に来られなくなっていたでしょうけれど。台湾総督府を辞めてからも、1906(明治39)年9月までは年一回は台湾に来て助言や指導をしていたようです。

1904(明治37)年には日露戦争が始まったので、世相はきな臭くなり、海外渡航は何かと危なくなっていました。そんな中でもどこかの国の発展のために身を挺して働くことを、新渡戸は自ら選んでしていたんだろうと思います。



板橋

バス

タイムテーブル

国立故宮博物院


故宮博物院までは、MRTで士林駅まで行きそこからバス。開館時間の8:30に合わせて行くと、すでに行列ができかけていました。

初めてなのであまり欲張らず、ポイントを絞って見学しようと思います。チケットを買ってロッカーに荷物を入れ、身軽になって展示室へゴー。まずは名宝ぞろいの3階を目指します。

故宮博物館は何年か前に全面リニューアルされ、2016年12月からは館内で撮影ができるようになりました。フラッシュの使用は禁止ですけど、写真が撮れるのはかなり有り難いですね。たくさん見ちゃうと何を見たか忘れてしまうこともあるので (;´▽`A``


なぜ中華文明の至宝が台湾に?


さてここで浮かぶのは、なぜ中華文明の至宝が台湾にあるのかという疑問。「故宮」とはかつての宮殿を意味する言葉なので、王宮のなかった台湾に「故宮」博物院があるのは妙ですよね。ここに「故宮」(=北京の紫禁城)にあった宝物が収蔵されのには、中華民国と国民党政府が関わっています。

中国最後の王朝である清が滅びたとき、その膨大な宝物は、孫文らが率いる中華民国に継承されました。そして自分たちが中国の正当な後継者であることを示すため、中華民国政府は1925年に故宮とその宝物とを一般に公開しました。これが故宮博物院の前身です。

その後中国本土への日本軍の侵攻が激しくなると、中華民国政府は宝物を重慶、ついで四川省へと移しました。1945年8月、日本が降伏すると、奥地に保管されていた宝物は、中華民国の首都が置かれた南京に運ばれました。


中国での国共内戦で


しかし中国国内で毛沢東率いる共産党との戦い(国共内戦)が起こり、蔣介石率いる国民党は共産党に敗北。1948年の秋、国民党政府は故宮博物院の宝物を台湾へ移すことに決めました。同年末、第1陣が南京を出発し、海路により基隆に到着、翌年には第2、第3陣も合わせ、全部で2972箱が台湾に渡りました。

これでも北京から台湾まで運ばれたのは全体の22%に過ぎなかったというので、その膨大さがうかがい知れます。また全体の2割ほどとはいえ、それらのほとんどが逸品で占められていたため、故宮博物院の至宝・名品は台湾に渡りここにあるということです。

エントランスホールで出迎えるのは、孫文の像と扁額。中華文明のお宝を後ろ盾にして、中華民国の正当性を猛烈アピールしているように見えるのは私だけでしょうか。



故宮博物院

エントランスホール

故宮の至宝


入場したらまず3階の302室へ。ここに必見の二大名宝 肉形石と翠玉白菜があります。

オープン直後に行ったのでラクラク見られましたが、もう一度見ようと思って行ったら長蛇の列でした。

館内で一番の行列スポットですね。だけど肉形石(高さ約5センチ)も翠玉白菜(高さ約19センチ)もかなり小ぶりで、「これが?」と思ってしまう感じ。夫が20年前に見て「ちっちゃ!」と思ったと言ってましたが、その通りです。そのとき買って来てくれた図録を見ていた私は、拡大された写真を見ていたので、どこかもっと立派なお姿を想像してたんですけど・・・イメージとは違うものですね。

だけど宝石だと考えれば大きいです。白菜は翠玉で、肉形石は瑪瑙ですから。どちらも色付けしたのではなく、素材の色を生かして彫刻しています。そこが素晴らしいんでしょうけど、それにしても何で白菜と豚の角煮なんでしょう? 白菜は「百財」に通じ、純潔も象徴する縁起物なのだとか(豚の角煮はとっても似てるから価値があるそうです...)。ほほー (゜o゜)



肉形石

展示室

新石器時代の玉壁

新石器時代晩期の玉琮

勾雲形へい

乾隆帝時代の碧玉

清時代の輝玉料

清中期の玉壺

清中期の玉花模様玉香薫


302だけでなく、順路に従って見ていくと、3階の左側にある部屋は全部玉石の展示でした。どれも彫刻の精密さに驚嘆するばかり。

製作された年代は新石器時代から清までと幅広くて、歴代王朝が蓄えてきた宝物なんだなと感じます。

それにしても玉(ぎょく)って美しいですね。「玉好きですか?」「はい、大好きです!」と宣言できるくらい以前から好きでしたが今日その段階が上がりました。


玉ってなあに?


じゃあそもそも玉ってなあに?ということですが、化学組成からは軟玉(碧玉)と硬玉(翠玉)とに区別され、軟玉はネフライト、硬玉はジェダイトと呼ばれます。ネフライトは中国で古来より産出されていて、故宮博物院にある清より前の時代の物はすべて軟玉で作られているのだそう。

これに対して硬玉であるジェダイトは、宝石として扱われる翡翠のことで、清代以降中国にビルマから輸入されるようになりました。こちらの解説文では、Jade=「玉」、Jadeite=「翠玉」とし、両方を合わせて「玉石」と書かれています。軟玉と硬玉とをあまり区別せず、どちらも「石だけど宝石のような扱い」をしているようですね。



乾隆帝時代の筆筒

乾隆帝時代の玉鉤

清中晩期の玉嵌宝石

翠玉花鳥瓶

碧玉屏風


玉石の部屋は照明を落としてあるのですが、その分玉の煌めきが強調されて、劇的な効果が生まれています。

こちらの碧玉屏風の前では、威厳に打たれて立ちすくんでしまいました。

王権の威光というか、「王が正にそこにいる」という圧(あつ)を感じます。作られたのは1940年と新しく・・・、ん?日中戦争のときに日本の天皇に贈られて、終戦後に返却されたと書かれています。そんなことがあったんですね。宝物の歴史は力の歴史だということでしょうか。。



清代の紅白玉髄筆洗

清代の紫晶棋子

翠玉筆架と翡翠山子

翠玉杯と翠玉小盒

翠玉の指輪と腕輪

青金石山子

金珀鼻煙壺

嵌尖晶石青玉花式罐

清代の瑪瑙碗


玉に混ざって瑪瑙で作られてた物もありました。半透明の固いものという点では同じです。こういう光をたたえたような石が中華圏で好まれたんでしょうね。

古代中国では、玉は生命再生の力があると信じられ、玉の持つ精気が人と神とを媒介すると考えられていたのだとか。

また柔らかい光が内側から発せられていると捉え、儒家は内面からにじみ出る君子の徳を「玉徳」といって尊んだのだとか。それで珍重されたんですね。



清代の瑪瑙杯

清代の紫晶仙人

中華民国時代の翡翠瓶

青花花卉瓶

獣面鼎と瓶

青白玉炉と小瓶

天然樹根炉と瓶

海藍宝石ペンダント

新中期の白玉錦茄枝


こちらは白い玉で作られたbalsam pear、つまりゴーヤ。ユニークなものを物凄い力を注いで作ってますね。たぶんゴーヤも縁起物なんでしょう。子孫繫栄とかお金が儲かるとか。

うん、かわいい♪

かわいい作品に出合うと、思わず笑みがこぼれます。作った人の名はほとんど知られていませんが、思いは伝わってくるようで。


玉の加工は約8千年前から


玉の加工は約8千年前の新石器時代から始まり、祭祀用の様々な玉器が作られました。青銅器時代に入ると技術も進歩し複雑な玉器が製作されるようになり、副葬品として伴葬されたほか、遺体を覆う玉衣も作られました。玉に込められた生命再生でで腐敗を防ぎ、復活を促そうと考えたのでしょう。確かに神秘的ですもんね。

唐の時代には一時衰退するものの、宋代には復興し、特に清代の乾隆帝時代に隆盛を誇りました。西方を征服したので、ホータンから良質の翡翠が入ってくるようになり、ビルマからも翡翠が輸入されたからです。展示品も年代が「清代 乾隆」となっているものが多いです。

この頃からデザインも用途も多様になり、「祭祀、神秘」から「実用、きれい」に変遷したようです。



玉如意隻尊

糖玉瓶

乾隆帝時代の碧玉印

玉提壺

青銅器の部屋へ


玉石を見終えて、3階右側の展示室に進むと、今度は青銅器がズラリ。美術品というよりは考古的な印象を受けます。

そして時代はまた青銅器時代に戻るので、祭祀に使われた神秘的な感じが再びです。太古のリズムでも聞こえてきそうな物もありますね。

青銅は銅と錫の合金で、融点が低く鋳造が比較的容易だったため、鉄が普及するまで広く利用されてた金属でした。

並んでいるのは発掘された青銅器なのでこのような色をしていますが、新しい青銅は金属の光沢で輝いていたはず。つまり使用されていた時代には黄金色の金属器だったわけで、それはもうまばゆかったことでしょう。その色を頭の中で再現しながら見ると、この部屋がキラッキラに変化します。

写真だと、さっきの玉製品と同じような大きさに見えてしまうかもしれませんが、こちらの器たちは大きくどっしりとした感じ。重さもかなりありそうです。細かいデザインは施されているものの、全体的に丈夫そう。華奢ではないですね。



秦時代の銅器ー鼎

戦国早期の菱形紋剣

戦国時代の四牛鼎

漢時代の連枝鐙

展示室

青銅の酒器など

西周早期の雙龍紋簋

西周早期の召卣(酒器)

西周晩期の頌壺(酒器)


こちらの存在感ある壺は、大きな酒器でディテールも凝ってます。酒器だから祭祀に用いられた物ではないんでしょうけど、どこか呪術的な感じがします。

その時代の雰囲気を映し出しているんでしょうかね。

3階を見終えて2階へ下りると、今度は書画と陶磁器です。書画の展示室はさらっと見て、陶磁器をじっくり。

陶磁器は年代が幅広いいのに、唐三彩、宗の青磁、明の青花と、どの時代の物も欠けてないのがすごいですね。しかもその時代を代表するような逸品揃い。清では康熙、雍正、乾隆の三朝ではそれぞれ好まれたテイストが違ったんだなとか、そんなことも感じて面白かったです。

窯元もいろいろで、技術、釉彩、造形、装飾文様も多様。陶磁器なんてハマったら大変なことだなと思いました。まぁ、素人なりに楽しめばいいんでしょうけど ( ̄▽ ̄;)



西周時代の鈴

唐三彩

北宋 汝窯

北宋 耀窯

清 康熙 孔雀釉

清 康熙 紅釉尊

明 永楽 青花 

明 永楽 高足碗

仏像も


仏像など仏教美術品もありました。でも意外と少なかったです。日本人は仏教が中国から伝わってきたから、中国に仏教徒が多いイメージを持っていますが、実際は違うのかもしれません。

10時になると団体さんが多くなり、混雑度がアップ。平日でも毎日混んでいるようです。それだけ人気だということですね。

なんせ世界四大美術館の一つ(あとの三つは、フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュ)に数えられていますから。だけどそんな故宮博物院が台湾にあって、中国人は憤慨しないんでしょうかね? 台湾は中国の一部だと考えているから無問題なんでしょうか。その辺どうなんだろうと思ってしまいます。



いつも混雑

仏教

骨董家具

展示

サンゴ


すごいサンゴもありました。大きさは台北101で見たのと同じくらいですが、色彩があでやかで自然に出来たとは信じられないくらいです。

1階の左側側は企画展示室で、清時代に蒐集された特に素晴らしい名品・珍品が展示されていて、サンゴもその一つ。

デザインが精緻で、趣は古雅。匠の技を駆使して素材を組み合わせた妙に、目も心も奪われます。



企画展

企画展趣旨

サンゴ

装飾品

清晩期 彫象牙透花人物套球


中でも最高だと思ったのが、こちらの象牙彫刻。

球体の中に球体があり、そのまた中に球体があり、それぞれに稠密な彫刻が施されています。

これがプラスチックならば造作もないことでしょうけど、折れたら最後くっつけることの出来ない象牙で作ったところが驚倒ものです。

これがそうだとは書かれていませんが、このような作品は親子孫三代かけて作って皇帝に献上することもあったのだとか。時間と労力とお金はもちろんですが、込められた精神みたいなものが、より一層作品を輝かせているのは間違いないと思います。


全部見るには10年かかる?


故宮博物院には、およそ70万点の収蔵品があると言われ、「全部見るには10年かかる」と聞いたことがあります。莫大な収蔵物を一堂に集めて一つ一つ見ている様を思い浮かべて、「そんな大げさな~」と思っていましたが、計算の仕方に勘違いがあったようです。

博物院で常時展示している品が6千~8千点で、特に有名な宝物数百点を除いては、3~6カ月おきに展示品を入れ替えているため、それらの会期を全部見ようとしたら10年以上はかかるという意味だそうで。私が勘違いしたのか、勘違いさせる言い方が流布しているのかわかりませんが、そう計算して10年なのだと知って得心がいきました☆



象牙彫刻

象牙彫刻

象牙彫刻

象牙彫刻

象牙

象牙

ゲームの棋子

装飾品


士林夜市へ


バスで剣譚まで


帰りもバスでMRT駅へ行くのですが、大半の人が降りる士林駅ではなく、私は終点近くの剣譚駅まで乗ることに。士林駅ではなく剣譚駅の方に士林夜市の最寄駅だからです。

どんどん人が降りていって、最後は一人に。乗ってて大丈夫かなと思いましたが、士林駅から30分ほどで剣譚駅に到着。バスだと少し上方から街の様子が見られて飽きませんでした。




バス停

車内

昼間の士林


士林夜市は有名だから来たかったんだけれど、少し郊外にあるのと時間的に今日しかなくて、真っ昼間に来てしまいました。汗

当然夜市はやっていません。お店も屋台も一切なし。

だけど食堂街ではない方に入って行ってみたら、農産物を中心とした卸市場になっていて、雑多な雰囲気がなかなかのもの。

こう感じを味わいたかったので、私的には丸です (^_-)-☆



士林

市場

市場

市場

士林夜市

市場

市場

トラック

お昼


お昼は駅近で肉入り刀削麵を。平べったい面とあっさりスープ、肉ごりごり、ネギぱらり。思いっきり庶民風なのに、盛られているのはバラの丼・・・。このセンス、狙ってできるものではないですね。食後に店を移動して、スイーツ店で豆花を食す技も覚えました♪


豆花


鶯歌へ (^▽^)/


台北駅


今日は今日とて、人づてに案内してもらえる人を探し、Lちゃんの後輩を紹介してもらいました。

台湾人で日本の大学に留学しているから日本語ができ、今実家に帰省中。しかも日本の友だちが遊びに来てて、その子を案内する予定なのだとか。

「す、すみません!私もそこに同行させてもらえませんかっ?」

図々しいことを承知しつつ、ダメもとでメッセージを送ってみたら、意外にもOKもらえて。「いいですよ。せっかくだからいろいろ回りましょ」と。太っ腹~。いや、ありがとう。自分だけだとイマイチ自由に動けなくて。いかにも観光客が行くような所ばかりでもつまらないんですよね。

というわけで、台湾人のSちゃんとは台北駅で待ち合わせ。もうティータイムだけどこれから鶯歌(インゴー)という陶器の町へと向かいます。一時間くらい鉄道乗るのに切符が31台湾ドル(約120円)って安っ。



台北駅

切符

台華窯


鶯歌駅からタクシーで台華窯というお店に来ました。鶯歌を代表する大きな陶磁器店です。

道をはさんだ向かいの山から煙が出てるので何かと思ったら、窯だそう。今も作ってるんですね。

台北からそんなに離れたわけではないけれど、随分と田舎の風情も漂ってきて、どこか懐かしい感じがします。



向かいの山から煙

店先

台華窯

蔡英文さんも


高品質の陶磁器を台北市内よりはリーズナブルに買えるとあって、店内はそこそこの入り。

ただ見ているだけでも楽しいです。

絵付け体験をしている2階行ってみると、飾ってある中に蔡英文総統の皿も!

他にも2011年に描いた物があったりして、蔡総統は2回も来てるんですね。総統になる前となった後と。解説パネルを読んでいたら、ローマ教皇にも贈られたと書かれていました。ふうむ。人が行く所に同行させてもらっていると、自分では行こうとしない所にも行けて良いですね。陶磁器の作品は目の保養になりました。



陶磁器

蔡英文総統2011年

店内

作品


美術品

ローマ教皇にも

売り場

鶯歌の老街


また少しタクシーに乗って、鶯歌の老街(オールド・タウン)へ。風情ある町並みをそぞろ歩くのもおかしけれ。

日本で言ったら瀬戸ですかね。益子とか?それよりもうちょっと田舎じみてて、また独特の味わいがあります。

この町も100年前には日本人が行き交っていたんでしょうね。家族への土産を買う人もいただろうし。その頃とそんなに様子は変わってなかったりして。



鶯歌の老街

鶯歌の老街



鉄道で帰る


鉄道で来たので鉄道で帰ります。この台鉄も日本統治時代に多くの区間が整備されたものですね。日本がいろんなところに残っている――。

並んで座れて、ある程度時間もあったので、Sちゃんに旅に出る前から気になっていたことを聞いてみました。2018年の8月に台湾で初めて従軍慰安婦像が建てられるようになったのだけれど、それをどう思うか、日本に対して台湾人はどんな気持ちを抱いているのか、ということを。

複雑な問題過ぎて、中途半端な英語や筆談では話しにくいし、誤解が生まれたらかえって良くないから、ちゃんと言葉が通じて、かつ社会情勢などに詳しい人に意見を聞いてみたかったんですよね。すると下のような答えが返ってきました。


台湾の従軍慰安婦像


「それね、選挙のための政治的な行動なの。その像が建てられた所知ってる?政治的な場所なんだよ。そこに建てられたということがもう、そういう意味だって台湾人は皆わかってる。全部選挙のためにやっていることだから、日本人が気にしたりするのは違う。台湾人が日本を嫌いになるようにさせているし、日本が台湾をそういう国だと誤解するとよくない。中国と関係あることだから。台湾はそういう政治的なことが難しいよ。これからも難しい。いろいろ問題ある・・・」。

この話がどういう意味なのかと思って調べてみると、慰安婦像が建てられたのは台南市の国民党施設の敷地内。除幕式で挨拶したのは前総統の馬英九でした。そこで馬英九が話したのは、「日本政府は正式な賠償と謝罪をすべきだ」ということと、「民進党政権は、慰安婦問題など日本統治時代の歴史の検証に消極的だ」という批判。

つまり反日を煽り、現政権を批判するために、現在野党の国民党が政治的アピールでやっているということです。この政治的なパフォーマンスに踊らされてしまうと、日台の友好が壊れ、国民党が勢いを増すわけですね。


野党 国民党の思惑


韓国では与野党が交代しても日本政府に謝罪と賠償を求める姿勢は変わりませんが、台湾ではそうではなく、国民党が政治利用のために従軍慰安婦問題を殊更に取り上げて、親日から親中になるよう仕向けるのに使っているようです。だから日本がこの像のニュースを聞いて、「台湾もそんなこと言って日本を嫌っているのか」と誤解したら、国民党の思う壺。

台湾の人々はそんな国民党の思惑を見透かしているので、冷静に捉え、煽られないようにしているみたいです。しかしそれでも「難しい」と。ほんと難しいですね。2020年にはまた大統領選挙が行われるけれど、それで国民党が政権を獲れば、大きく中国寄りに舵が切られることでしょう。なんせ国民党は、今でも「中国国民党」と正式名称から「中国」を外していないのですから。



ドリンク店

冷たい飲み物

お粥街

夕食


台北市内中心部のお粥街に移動して、夕食を。「いいよ、座って待ってて。私が注文して来るから」とSちゃん。

フロアの真ん中にいろんな料理が並んだコの字型の台があり、中にいる店員さんとしゃべりながら料理を選ぶのが店の流儀らしいです。

待っていると、まず大鍋のお粥がどーん。続いて臭豆腐、豚の角煮(故宮で見たw)、空芯菜炒め、貝のしょうゆ漬け、豚足煮込み等々。ちょっとクセはあるけれど(汗)、地元の人に混じって台湾の人が日常的に食べている物を食せるってうれしいかも (^^♪



いろんな料理が並ぶ

お粥

臭豆腐は辛い@@



悔い改めと許し


悪いことをしたら悔い改めよう。そしたら許してもらえる――、それがキリスト教的な考え方。だけど個人ではなく、国家レベルでこれを検討するなら、使われる用語は「謝罪」と「賠償」となり、問題は複雑化します。

謝っても謝ってもいつまでも謝罪を求め、一定の賠償をして解決したはずのことまで蒸し返してどこまでも賠償を求めれば、その話し合いの土台となった関係性まで壊してしまうのは自明の理。だから互いに譲歩し対話を途切れさせないようにしなければなりませんよね。

世界を見渡せば、被害者であることの政治利用で、ドイツの若い人の間で謝罪疲れが広がっていて、それが過激なナショナリストを生む温床となっているのだとか。日本でも似たようなことが起こっているのではないでしょうか。謝罪だ賠償だと言われ続けて、面倒くさくなってキレてしまう・・・。そんなことがあってはいけないんだけど。

悔い改めと許しであれ、謝罪と賠償であれ、和解というゴールを目指していることを双方が忘れてはダメですよね。和解はゴールであり、またスタートでもあって、その先に共に歩んでいくことが期待されています。

この歩みのために、歴史を振り返って整理して、過去を過去に、現在を現在にして、未来を変えていきたいものです。今日一日過ごして、日本人は台湾でもたくさん知るべきことがあるんだなと感じながら・・・。





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