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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 虹色の我愛你(ウォーアイニー) 5


本日夜の便で帰ります。これまで数日間、人にも恵まれ、守られてきました。「行ってみたい」という軽い気持ちで来ましたが、今では来たことをとても意義深く感じていて。残りわずかの時間ですが、安全に何かを吸収しつつ過ごしたいです☆



朝はバタバタ


朝はバタバタ。朝食を摂って荷物をまとめてチェックアウトして、MRTで台北駅に行ってスーツケースをコインロッカーに入れて。

このコインロッカーというのが曲者で、広い台北駅のそこかしこに少しずつあって、番号が振ってあるものの、どこがどこか迷子になりそう。荷物を入れたり取り出したりする方法も、日本と違うから理解するのが一苦労で。

それでも何とか荷物を預け、身軽になってMRTで圓山駅へ。はー、朝から結構体力使ったかも (;´∀`)



圓山駅

元スタジアム

圓山駅より

花博公園


圓山駅の前にあるのは花博公園。中はスタジアムで、今もスポーツや芸術に使われているもよう。

大きな屋根の下には、太極拳をする中高年グループとダンス練習中の若者たち。中華圏では朝運動する中高年グループをよく見かけますが、隣で若者が音楽かけて踊っているのは初めて見ました。

自然に交流も生まれることでしょう。こういう場があって良いですね。



中はスタジアム

大屋根の下

花博公園

案内図

タクシーに乗って


圓山駅から目指す圓山大飯店まで行けると思っていたのですが、地図の縮尺を見誤っていたみたいで、歩きでは半時間以上かかりそう。それでタクシーを拾うことに。

広大な花博公園は、反対側の車道に出るのにも結構歩きます。そっちに行ったからとて空車がすぐに来る保障はなく。知らない土地は勝手がわからなくて妙に時間奪われることがあります。。



花博公園

反対側の車道

広い公園

圓山大飯店


少し待ったらタクシーに乗れて、圓山大飯店へ。地図の縮尺も見落としていたけど、高低差も知らずにいて、こんなに登るとはと驚くほどグイグイ丘を登って到着。

これ歩いていたら1時間以上かかっていましたね。乗って良かった。

圓山大飯店は世界のVIPが利用する台北きっての高級ホテル。真っ赤な巨大軍艦みたいな外観は威圧感半端ないです。




圓山大飯店

「台」の文字か?

宮廷風

内部


中に入ったら入ったで、宮殿のような大ホール。

北京の故宮に朝貢に行った各国の使者は、こんな様子に度肝を抜かれて、この国に歯向かうのはやめようと考えたりしたんでしょうね。



生け花?

天井

階段

手すり

この地の歴史


館内のゴージャスさに思わずたじろぎましたが、地元民や観光客がカジュアルないでたちで歩き回っているところを見ると、ドレスコードはなさそう。

大階段を上がって横手に折れると、この地の歴史や訪れたVIPの写真で紹介するスペースがありました。

おおぅ!知りたかったことがしっかり書かれていました。圓山大飯店のあるこの場所が、元々日本の神社だったという解説です。


日本統治と台湾神社


1901年、日本政府はここに台湾神社を建設。1944年、台湾神宮に格上げしました。第二次世界大戦後の1945年に台湾神宮は廃され、跡地に圓山大飯店が建設されたと書かれています。日本統治時代、ここは宗教的な拠点になっていたんですね。台湾に来た日本人はきっとここに参拝に来ていたことでしょう。

現地の人にはどのくらい神社神道や天皇崇拝を勧めたんだろう? 強制というほどでなかったならいいんですけど・・・。総督府を総統府として使っている台湾でも、さすがに台湾神社は壊したわけで、当然ですが心中には日本支配を嫌がる思いがあったはず。

それなのに、日本の一部の右傾化した人たちは「台湾人は日本による支配を喜んでいた。国が発展したのも日本統治時代なのだから、日本が台湾を良くしたようなものだ」とか言っています。そういう偏った人たち勝手な言説のために、何度和解の道が頓挫したことでしょう。

圓山大飯店を訪れたVIPの中にはクリスチャンもいれば、今もその二世が権力を握る大物政治家の姿も。歴史的な会談も多く開かれたようです。日本統治時代から今に至るまで歴史の現場であり続けているんですね。それを確認できて、来た甲斐ありました☆



台湾神社

圓山大飯店は跡地

中庭

岸信介と宋美鈴

朴正煕

台湾アメリカ断交

蔡英文総統

郵便ブースに宋美鈴

お昼は鶏から丼


何を血迷ったかお昼は日本食レストランへ。ほんとは台湾っぽいものを食べたかったのですが、うまく見つけられず、時間が押していたので入りやすい店に入ってしまいました。牛丼屋だったのですが、鶏から丼にしました。日本と違うのは、衣が厚いことくらいかな (^_^;)


淡水へ


MRT駅でSちゃんと待ち合わせて、午後は淡水(ダンシュイ)へ。台北市内を流れる川は基隆河と淡水河で、2つはつながっています。市内から北東に流れる基隆河が海にぶつかる所にあるのが基隆(ジーロン)の町で、北西に流れる淡水河が海にぶつかった所が淡水。どちらも港町です。

早くから開発されていたのは基隆港で、日本統治時代によく使われたのは淡水港だったようです。どちらか一つでも行ってみたかったのですが、Sちゃんが行き先に選んだのが淡水ですごいラッキー。港は日本から行く人たちにとって、台湾の玄関口だったはずですよね。



圓山駅

MRTで行ける

車窓


淡水に到着☆


淡水駅


淡水駅へ到着。見えるわけではないけれど、何だか海に近いという感じがします。

駅舎は古いものをリニューアルしたように見えますけど、もしかして日本統治時代からのものですかね?

淡水駅は当時多くの日本人が利用していました。新渡戸稲造が上陸、乗船したのも淡水港ですし、まどみちおが南方に出征して行ったのもこちらの港からでした。



山が見える

駅からの道

街路樹・・・?

フライ屋さん

淡水の海辺


駅から3分で海(正確には川が海に出合っている場所)。海鮮のフライ屋でイカフライを買って、ジューススタンドなどが軒を並べる海沿いの道を食べ歩き。

これが台湾のスタイルなのか、Sちゃんが若いからそうなのか、店に入るのでなく、屋台とかで買ってちょこちょこ食べるのが主流のようですね。

立ち止まらないと飲み込めない私には食べ歩きは至難の技ですが、出来る範囲で対応してみます。


植物学者ユルバン・フォーリー


「淡水」という文字を見つめていて、あああー!と衝撃的に思い出したのが、植物学者で宣教師のフォーリー神父。日本に来たパリ外国宣教会(MEP)の宣教師です。以前仕事でこの人の採った植物標本の入力作業をしていたのですが、その中に頻繁に出てきたのが「Tamsui」の文字でした。そうだ、日本から台湾に行き、そこで亡くなったんだった・・・。

ユルバン・ジャン・フォーリーは1873(明治6)年に来日したフランス人神父で、新潟・東京・青森・北海道などで40年間も司牧にあたりました。神父として働く傍ら各地で植物を採集し、母国フランスに送り、それが貴重な標本として今も残されています。京都大学総合博物館にも膨大なコレクションがあり、学名にFaurieが付いているのは、全て彼が発見した新種。


フォーリー神父が来た時代


フォーリー神父が来た時代は困難と幸運が混在する時代でした。神父が来日した1873(明治6)年は高札撤去の年で、キリスト教は黙許されるようになったのですが、依然差別や偏見が残っていて外国人神父に対する風当たりは厳しいものでした。しかし国内には手つかずの自然が残っていて、そこにはヨーロッパでは見られない植物が満載。宝の山でした。

日本で新種を発見した数がこれほどまでに多いのは、それまで新種として発表する人がいなかったからです。また当時の日本は世界に版図を広げつつありました。現在の北朝鮮も含む朝鮮半島や樺太、台湾まで足を伸ばして植物採集できた背景には、日本と日本人研究者とのつながりがあったのです。


フォーリー神父と台湾


1904(明治37)年、日露戦争が勃発すると、宣教師たちはスパイと疑われて活動停止に陥りました。そこでフォーリー神父はかねてから希望していた朝鮮半島へ赴き、植物採集を行いました。日本に戻り、青森司牧を経てから、1913(大正3)年からは台湾へ。基隆港から上陸して、台湾各地を回りました。

元々フォーリー神父はワイルドなタイプだったようで、台湾原住民の住む地域にも入り込んで、野営(木の上で寝たという)しながら採集にあたっていたのですが、体調不良になって台北の病院へ。鼻腔にヒルが侵入し血を吸っていたことがわかりました。ヒルは取り除かれたものの、やがて病床に臥すようになり、1915(大正4)年に死去。68歳でした。

葬儀は台北のカトリック聖堂(台北大稲埕教会。現在の聖母無原罪司教座堂)で行われ、遺体は三板橋の共同墓地(現在は林森公園)に埋葬されました。そして日本の有志によって台北植物園にフォーリー神父の銅像が建てられたのだとか。ここで思い出したが100年目ですね。というか、本当に100年ちょっと経ってます。思い出させてもらったのかな (*'▽')



海鮮フライ

祀ってある所

ジューススタンド

海沿いの道

派手な祠

店が軒を並べる

海沿いの道

海と釣り人

渡し船に乗って


海沿いの道を歩いたのは、こちらに来るため。艀(はしけ)のような船着場です。

ここから渡し船に乗って、対岸の八里(バーリー)に渡ると景色がきれいだそう。

乗船料は23元(75円くらい)。観光用ではなく、地元民の足ということですね。そこがかなーりうれしくテンション上がります♪



淡水河

船着場

川というか海というか

淡水河

船着場と町

船内

船内

乗船して

対岸が八里


近代の台湾におけるカトリック宣教は、1860年代フィリピンから来たドミニコ会士によって台湾南部から始まりました。

1887年からは北部へも宣教師が派遣され、教会が建てられるように。1911年にドミニコ会は台北大稲埕(ダーダオチェン。清末から日本統治時代に経済・文化の中心地だった)で聖堂建設に着手し、3年の歳月を経て完成しました。

ドミニコ会の司祭たちは台湾人の司牧に忙しかったので、渡台後のフォーリー神父は、植物採集に行く時にも必要に応じてミサ祭具一式を持参して、日本人信徒の世話をしていたのだとか。日本に40年もいて日本語ができましたからね。でも青森司牧の職を解かれたきっかけが、植物採集にのめり込んでいるという批判だったので、内心複雑だったかもしれません。

いや逆に、神の摂理を感じたでしょうかね。自由に植物採集しようと思って来た台湾で、またもや日本人の世話をするようになって、「神はここに私を遣わしたのではないか」と。神の御手にあることを感じつつ、亡くなるまでの時間を、大好きな自然と愛した日本人たちとの中で過ごしていたならいいなぁ。




八里側の船着場


八里側の船着場に着くと、もうちょい素朴な町並みが。ただし遊興的な雰囲気も漂っていて、海辺ってこういうストリートあるよなという感じ。

何という名前か知らないけれど、印象的な形の山が見えています。海から淡水河に入ってきた船は、この山を見ながら港に着いたんですね。

新渡戸もまども、フォーリー神父も多くの日本人も眺めた山。彼らは船で来たから、私も台湾で船乗れて良かったです (*^^*)



八里の町

八里の町

八里の町

レンタサイクル屋


Sちゃんに「乗るよ」と言って連れて行かれたのがレンタサイクル屋さん。

え、私自転車乗れないよ。正確に言うと、乗れるんだけど曲がれない。ほんとめっちゃ運動神経悪いの。死ぬよ、マジで。
 ↓
私)無理無理無理無理ぃ・・・・!
S)大丈夫だってば~!
 ↓
そうこうするうちに店のおばさんとSちゃんの交渉成立。
 ↓
乗ること決定。自転車の選定始まる。私の涙の抗弁きかれずorz
 ↓
レッツゴー!おっかなびっくり漕ぎ出す私。。



自転車

乗ることになった...

八里の浜


いやー、キレイですね!

・・・とは到底言えない心境ですが、周りの景色は確実にビューティフルになってます。見る余裕がないだけで。汗

5分走ってひと休み。浜辺に下りられるようになっている所があったので。手に汗握って両肩張ってたため、乗車時間5分でも1時間漕いだみたいな疲労感が。まだまだこれからだと思うと気が抜けないし。。



淡水河

向こうが海

港かな

キレイです

サイクリングロード


八里はサイクリングロードが整備されていて、実は走るにはもってこい。Sちゃんがお勧めするだけはあるアトラクションです。

八里に来たら自転車乗らないと面白くないということはわかります。

まぁちょっと、乗って良かったなという気持ちも芽生えています。何もしないで見て帰ってたら思い出も残らないし。強引にでも乗るようにしてもらって感謝すべきだな、うん☆



川辺


石ゴロゴロ

晴れてきた

BALI


サイクリングロードをずっと行くと、途中から林の中にも入っていって、木々の下の木道を通りながら、そこから見える眺めも楽しめます。

十三行遺跡の博物館の所まで行き、内部は見ずに折り返してきました。撮ってる余裕なくて写真一切ありません ( ̄▽ ̄;)アハハ

河べりに戻ってきてフォトジェニックなスポットで記念撮影。ここまで事故も起こさなくて、私にしては上出来だと、自分を褒めてやりたい気分です。乗ってたのは40分くらいだけどw



フェニックス

河べり

店内から

コンビニでゆで卵


少腹が空いたので、コンビニへ。がっつり食べるほどではないと言ったら、「これ美味しいんですよ」とゆで卵が。熱々でウーロン茶で煮てあるみたい。

それからビーフジャーキーを買ってくれました。2階がイートインスペースになっていて、座って食べられるのが私にはうれしいです。


ドラミちゃん

ゆで卵

ビーフジャーキー

虹が!


帰りの船を待っていると、おおうっ、虹が!!!

今日は晴れたり小雨が降ったり、不安定な天気だったのですが、ぱらりと降った後に日が出たので、虹がかかったようです。

なんとー!約束の虹みたいでうれしいです♪





船内

淡水の老街


再び船に乗って淡水河を渡り、昔ながらの老街(ラオジェ)へ。外国人も地元民もいてカオス度増しています。

独特なエネルギッシュさが満ちる街を、Sちゃんは器用に歩いては試食して、私などにも味見をさせながら進んでいきます。

まだ明るくて人もそんなに多くないからいいけれど、夜になったら人混みすごそうだなと。港町だからか開放的な感じですね。



小道


ジューススタンド


マッケイ博士像


老街を抜けて三差路に出ると、何やら威厳ある方の頭部が。

マッケイ博士(Mackay。馬偕博士とも)の像です。

長老派のカナダ人宣教師で、医師でもあったマッケイは、淡水を中心に伝道し、20以上の教会を設立して淡水で亡くなりました。宣教だけでなく医療・教育分野でも当地の発展に貢献し、今も彼の建てた病院や学校が存続しています。恩人だから、馬偕「博士」と呼ばれているんでしょうね。



馬偕博士像

馬偕街

馬偕街

馬偕街

淡水礼拝堂


馬偕街をしばらく行くと、右手に淡水礼拝堂が現れます。マッケイが設立した教会で、教会堂は1933年に馬偕の息子 馬叡廉(マッケイ2世)によって建て替えられて煉瓦造りになりました。

台湾ではキリスト教でもカトリックを天主教、プロテスタントを基督教と書き区別しています。プロテスタントの諸教派で一番多いのが長老派。最大教派であり、政治的な影響力も持っています。

長老派が最大教派である理由の一つは、最も早く宣教したことですが、もう一つの理由が台湾の独立運動・民主化運動を熱心に支援したことにあるでしょう。煉瓦造りの教会堂からは歴史と自負心が感じられます。中に入れるのかな~?



淡水礼拝堂

淡水礼拝堂


鐘楼にステンドグラス

礼拝堂内


建物の中には入れるのですが、礼拝堂のドアは閉まっていました。でも見られるので写真をパチリ。

何が素晴らしいって、今も現役の教会として使われていることですね。信徒さんが日々通っているからこその「普通さ」「日常的な感じ」が良いのです。

隣にはマッケイゆかりの品々を展示する滬尾偕医館がありましたが、今回は寄りませんでした。滬尾(フーボエ)は淡水の昔の名前です。



解説板

滬尾偕医館

石碑

周辺案内図

長老派教会

ベンチ

茶葉専門店


礼拝堂から坂道を歩いて行くと、茶葉専門店が何軒か。入ってみると、オブジェみたいな茶葉の塔がありました。結構インパクトあるんですが、皆さん平然とお茶してました。

お茶の香りがうれしいですけど、茶色系のお茶の匂いですね。緑茶とは違うシブさが漂っています。



茶葉タワー

茶葉専門店

道標


段々急になる坂を登って目指しているのは紅毛城。だけど途中の道標にも、いくつか行きたい所の名前が見えます。そんなに大きくない町でも一回で全部回るのは難しいですね。一国なら尚更。

一回来たことを足掛かりに、次は計画も立てて、再訪を期したいと思います。



紅毛城


来ました、紅毛城!

淡水まで来たし、結構珍しい所に来たつもりだったのに、日本の修学旅行生がいてびっくり。

修学旅行で台湾や韓国へ行くという話は聞いたことがあるけれど、こういう所に来てるんだ。

いいなぁと思いましたが、(お金を出している)親の気持ち子知らずというか、高校生たちは「へえー...」と、若干つまらなさそうにガイドさんの話を聞いていました。そうかもしれませんね、史跡が面白くなるのは大抵大人になってから。一部のマニアを除けば、反応はそんなものでしょう。でもいつか行って良かったと思い出す時がくると思います☆彡


紅毛城の歴史


さて紅毛城は、日本や西洋の城郭とは比ぶべくもない「城」ですが、300年余りに渡って淡水にそびえ立つ国家一級古跡。園内にはオランダ・スペイン統治時代、清朝統治時代、日本統治時代を生き抜いた建物があり、それらの時代と支配者の旗が城の前にはためいています。旗だけ見ると何とも国際的な感じがしますが、よく考えるとそれってあまりいい意味ではないですね...(;^_^A

手前にあるのが、1644年にオランダ人によって建設された四角形の城「アントニー要塞」。奥に建てられているのが、イギリス人に接収された後に建てられた「旧英国領事館」。パッと見た印象は「城」というより「砦」か「要塞」ですね。中に入ってみないとわかりませんが。



紅毛城園区

台湾の旗

各国の旗

旧イギリス領事館

旧清朝英国領事館


紅毛城の東側にある赤レンガの建物が、1891年にイギリス人が建てた旧清朝英国領事館。清朝時代にイギリス租借地に建てられたというのがポイントですね。

日本統治時代もそのままイギリス領事館として利用され、第二次世界大戦の一時期を除き、1972年に台湾とイギリスが断交するまでずっとイギリス領事館のままでした。

なので内部の調度品なども、つい最近まで使われていたことがうかがえて、人の暮らしの気配が感じられます。台湾人も写真好きなのか、めっちゃ記念撮影してて、ウェディングドレス姿の人もいますけど、歴史的にはそんなにロマンティックと言えるかなぁ。。



洋館内部

調度品

資料室

パネル展示

バルコニーから

解説板

紅毛城内の牢


紅毛城の方は、イギリス領事館とは違い、およそ優雅さとはかけ離れた武断的な雰囲気。正に「要塞」ですね。広くもない建物内に3ヵ所も牢がありますし。

解説によると、元々17世紀初頭にスペイン人が建設した城「セント・ドミニカ城」があり、それがオランダ支配時代に転用・増改築されて「アントニー要塞」となり、その後鄭成功や清朝、日本が支配して、今の台湾となっているんですね。

外の旗はこの順番だったのかーと気付かされました。度重なる支配を受けて、現在も「国」ではないことを思うと、Sちゃんが昨日言ってた「これからも難しい。いろいろ問題ある・・・」が頭の中でリフレインします。

紅毛城の窓から外を眺めると、眼下には河と海。高い丘にあり、眺望にも防御にも優れているので、この地が選ばれたことがわかります。レンガ造りの建物や擁壁は砲火にも耐えられそう。ここに翻った旗は300年もの間誰が支配者であるかを見せつけてきたのでしょう。



牢的戸外活動空間

解説板

解説板

牢内の人


牢内の人

窓から海が

建物図

真理大学


紅毛城を出てもう少し坂道を上がり、真理大学へ。マッケイさんが1882年に作った、台湾で最も古い西洋式教育施設「牛津学堂」が元になった大学です。

私立大学で、キリスト教の教派は台湾基督長老教会。マッケイさんだから当然ですけど。



大礼拝堂


こちらは1997年に建てられた大礼拝堂。構内には歴史的建造物があり、それ目当ての観光客も見られます。

台湾に古い西洋風建物があるのが珍しく、魅力となっているのでしょう。それが即ち被支配を物語るものであっても、人の感じるロマンティズムは止められないようで、記念撮影スポットとなっています。



構内

緑の多い構内

古い建物も

木々

大礼拝堂内


大礼拝堂は、建物の1階から3階まで。正面には大きなパイプオルガン。西洋の大聖堂を思わせるような大きな窓。ここに聖徒が集って賛美したら荘厳でしょうね。

身一つでカナダから来て、地元の牛飼いの少年から台湾語を学んだというマッケイさん。台湾人の奥さんと結婚し、医療伝道をしていきましたが、地元民の反感は強く、悪魔と呼ばれたり、暴力を受けたりすることもあったとか。

日本で言うなら誰に相当するでしょうね。医療伝道ならヘボンさん、教育ならクラーク博士でしょうか。各国各地にそれぞれの歴史があり、そこで働いた人の功績が息づいています。時を経て今こうなっていることを見て、彼らの汗が無駄でなかったことを確認できるから、現在の姿を見に来ることは恵みと力をくれるものですね。



礼拝堂内

建物

エントランス


バス


淡水駅まではバスで。本数多くて便利ですが、意外と混んでます。観光客もいるけど地元の若い人の割合が高くて、日が昇っていくイメージが。

淡水駅からはMRTで台北駅へ。乗車時間は40分ほど。40分でこんなエクスカーションができるなら、とっても良いですね。

途中の駅でSちゃんとはお別れして、台北駅のコインロッカーで荷物をピックアップ(これがまた大変で;;)。最後まで気が抜けませんが、それでも無事に空港行きの鉄道に乗れました。はー、感謝。



MRT

車内

桃園国際空港


空港鉄道でちゃんと着くのか心配になってオタオタし、2人の台湾人に世話になり、空港のチェックインカウンターでも不安になってモタモタして、今度は日本人に助けられました。

いずれも向こうから声をかけてもらい。私も普段から人助けすべしと肝に銘じる桃園空港。

ラストの食事は台湾料理とはならず、モスのライスバーガーになってしまいましたが、台湾と日本の絆を感じてほっこり。これで良かったのかもしれない (*´ω`*)



桃園空港

コンコース

モスバーガー

心霊廣場


飛行機に乗る前に見かけたのは祈祷所。祈祷室は成田や羽田にもあるけど、「室」でない分立ち寄りやすくなっています。

プレートには「心霊廣場」と。しかも「霊」の字が旧字体の画数多いやつで、すごく「心霊さ」増してます。

十字架が見えたので入っていったのですが、横に卍があり、振り返るとイスラム教のマークがあり、エキュメニカルなスペースでした。ベンチは一つなので、他の宗教の人と共有することもあるのでしょう。これからの世界を示唆しているように感じました。



心霊広場

十字架と卍

イスラム教



我愛你!


こちらの言葉でI love youを我愛你(ウォーアイニー) と言うのだそうです。とってもいい響きだなと、旅の終わりに噛みしめています。ほぼほぼ遊びというか観光目的で来た台湾ですが、来てみたら歴史的に学ぶことが多いわ、世界情勢はひしひしと感じるわで、知識的にも非常に満たされました。

言葉ができなかったせいで、人の助けを受けねばならず、そのお陰で多く人とつながれたことも感謝。そこから受け取ったものは、単に情報に留まらない温かくて真実な何かで、これからも私の中で育っていきそうです。

小さく有限な私が、大きく広い世界を見たところで、何ができるというわけでもなく、こうして綴るのが精一杯なのですが、少しは意味があると思ってめぐっています。我愛你――。小さな私がやっていることに、意味があると示唆してくれる方にこそ捧げたい言葉です☆彡






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