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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 蒼き切支丹回廊 1


春真っ盛りの九州へ。景教研究会の大会に出席するためなのですが、ついでに天草と宮崎を訪れて、まだ行けていないキリシタン史跡を目指したいと思っています。いつにも増してリサーチ甘めなんですが、現地に行ってから存分に学ぼうと思っています(^▽^;)



羽田空港


三月後半の空港は、春休みだからか、早朝にも関わらずたくさんの人で賑わっています。今回は丸っきり一人旅なので、小さなことでも緊張。ちゃんと飛行機乗れるかな?とか。ほんと無事に11泊12日行って来られますように☆


修猷館高校


午前中のうちに博多に着いて、西新駅のコインロッカーに荷物を入れて北上します。左手に見えてくるのが修猷館高校。

以前ここの前を通ったときには、田中耕太郎のことを書きましたが、ここの卒業生なら金子堅太郎と安部磯雄も忘れちゃいけません。

金子はハーバード大学卒のエリート政治家で、新渡戸稲造の「武士道」をルーズベルト大統領に紹介した人物(実際に贈ったのは高平小五郎)。そのことにより、ルーズベルトはポーツマス条約を日本側に立って仲介したという話がありますね。

安部磯雄は社会主義者で教育者。「日本野球の父」とも呼ばれています。昔早稲田にこの人の名前を冠した野球場があったんですが、今は図書館になっています。田中耕太郎と安部はクリスチャンですね。いろんな学校にも歴史と輩出された人物たちがいます。追っていけばキリがないほど。



西南学院大学


では今日のメインの西南学院大学へ。今日は3時に古い友人と待ち合わせしているので、一か所しか回れないのです。

これから始まる九州旅行のウォーミングアップみたいな日ですね。明日から大会なので、ちょっと慣れておこうというか。

それにしても西南はお嬢さんお坊ちゃん学校と言われるだけあってキレイですね。カフェからリア充感漂ってきます。



西南学院大

校門

カフェ

博物館

西南学院大学博物館


西南に来たのは大学博物館での企画展「宗教改革と印刷革命」を見るため。

入館する前に建物を外からチェック。このレンガ造の建物はヴォーリズという建築家が手掛けたもので、ヨーロッパの古典様式を日本に適用させたヴォーリズ建築はとても人気があります。

この建物は1920年、西南学院の本館として建てられ、今は西南学院大学博物館となっています。学院創立者のC.K.ドージャーを記念して、ドージャー記念館とも呼ばれているようですね。福岡市の有形文化財に指定されています。



校歌

創立者たち

大学博物館

ヴォーリズ建築

キクニガナ


庭の植物にも注目。聖書に出てくる草花が植えられていて、勉強になります。イエス様が見ていたのはこういう花だったんだとか、聖書のあのエピソードに出てくるのはこれか、とか。

ヨナの話に出てくるトウゴマに、黙示録に出てくるニガヨモギ、放蕩息子のところで出てくるイナゴマメ・・・。常設展は聖書の歴史と背景を扱っていますが、それが外にも及んでいる感じなんでしょうね。



トウゴマ

ニガヨモギ

イナゴマメ

イナゴマメ

宗教改革と印刷革命


では「宗教改革と印刷革命」展へ。企画展は写真OKなので有り難いです。見ただけでは忘れてしまうし、メモするにも限界がありますから。

さて、宗教改革は1517年にマルティン・ルターが著した「九十五カ条の論題」に端を発するキリスト教の改革運動。一方の印刷革命は、15世紀半ばにグーテンベルクが活版印刷術を発明したことに始まる文化的革命です。

この企画展では、これら二つのイノベーションによって聖書がどのように変わっていったのかを紹介しています。構成は、Ⅰ章「古代・中世の聖書写本」、Ⅱ章「印刷革命」、Ⅲ章「宗教改革と活版印刷聖書」。入口すぐの展示ケースにはリンディスファーン福音書と貧者の聖書が並んでいましたが、どちらも複製。

そりゃそうですよね。リンディスファーン福音書は、710年頃イギリスのリンディスファーン島の僧院で作成されたと考えられています。羊皮紙に手書き、手彩色。装丁には宝石があしらわれています。貧者の聖書は「貧者」という名称が皮肉なほどゴージャス。「聖書」というけど装飾写本じゃないですかね。ページ数も冊子程度みたいですから。

時代は14~15世紀とずっと下りますが、やはり羊皮紙に手彩色。解説には旧約と新約の連関を示す予型論が表されていると書かれています。聖書が一般庶民のはるか遠くにあり、お金持ちであっても絵を見ながら聖書の話を聞くのが関の山だったのだろうなと思いました。



解説パネル

リンディスファーン福音書

貧者の聖書

展示ケース

グーテンベルク


Ⅱ章に入ったら、やっぱグーテンベルク。

マインツの金属細工職人ヨハネス・グーテンベルクが1440年頃発明したのが活版印刷術。

本の複製と大量生産が可能となったことで、ヨーロッパ文化は大きく変容し、各種の本が印刷・出版されると世界さえも変えていきました。これをある歴史学者が「印刷革命」と呼んだので、今回の企画展のタイトルともなったんですね。

こちらのコーナーには、42行聖書(複製)、聖句註解付きラテン語聖書、ダンテ「神曲」、聖ヒエロニスム「マタイ福音書註解」など。1481年にヴェネツィアで出版された聖句註解付きラテン語聖書は、西南学院大学博物館蔵の本物です。紙に活版で印刷されていますが、手で彩色されていますね。活字と手彩色が併存しているところが過渡期という感じ。



解説パネル

42行聖書(複製)

聖句註解付きラテン語聖書

ダンテ「神曲」煉獄篇

宗教改革


Ⅲ章「宗教改革と活版印刷聖書」ときたらルター。真打ち登場といったところでしょうか。

ルターを始め宗教改革者たちが聖書の言葉をそれぞれの地方で話されている言語に翻訳し、それが活版印刷で出版されることによって、宗教改革の波はヨーロッパ全土を覆いました。

宗教改革の過程で起こった血なまぐさい戦いを別として、聖書が一般庶民にも所有できるものとなり、人々が神の言葉を自分で読むことができるようになったことは良かったこと。プロテスタントの人だと、活版印刷のアシストで宗教改革がゴールを決めたというふうに考えて、天の配剤だと解釈する人もいます。私もそれに反対はしません。

だけど活版印刷はカトリックにも恩恵をもたらしました。カトリックでもウルガタ訳聖書が活版印刷で出版され、その権威を宣言しています。また宗教改革によって、カトリックの中でも霊性に目覚める者たちが出てきて、新しい修道会を発足させました。こうした反宗教改革(カトリック教会では「真正の改革」という)の流れの中で生み出されたのが、後に日本宣教を果たしたイエズス会です。

活版印刷と宗教改革は、カトリックの発展にも寄与した面があったということですね。今企画展でそこまでちゃんとフォローしていた点は評価できると思います。西南学院はバプテスト(つまりプロテスタント)ですが、自分たち目線で歴史と事実を捉えてストーリーを作ってしまうことなく、広い視野を持って展示の構成を行っていると感じました。



ルター訳聖書

主な活版印刷聖書

カトリックとウルガタ聖書

ウルガタ訳聖書

ウルガタ聖書標題紙

翻訳された聖書

ルター訳聖書

チューリッヒ聖書

展示室


写真撮影可なのは企画展だけだったので、常設展の写真はないのですが、こちらも世界と日本のキリスト教史にとてもよく目配りした展示です。

聖書に出てくる文物の紹介はもとより、各国のキリスト教史についても、例えば大秦景教流行中国碑の拓本もあり、キリシタンも一角を占めています。

キリシタン遺物としては魔境まで。カーテン仕切られたスペースに入って、自分で灯りをつけて魔鏡から浮かび上がるキリスト像を見るのは、展示というより一つの体験。そういった体験からもっと知りたくなる人もいると思います。頑張れ、西南。いや、頑張ってるね (o^^o)



活版印刷術

解説パネル

解説パネル

宗教改革のボードゲーム


お楽しみはここからだっ!


ヴォーリズ建築


一階は見終えましたが、お楽しみはここからです♪

この深みととろみのあるこげ茶で彩られた階段と手すりよ!窓枠よ!腰板よ!

ヴォーリズ建築の特徴は品良く落ち着いた雰囲気であること。西洋様式なんだけど、東洋にも通じる普遍性があるから、日本人が見てもいいなと思えるんだと思います。見てるとセロトニンが放出される気が。正に建築遺産。

手すりを撫でたら、くにゅっと腰から砕けそうになりました。西南生、腰砕け続出でしょう。窓から外を見ると、彼がこだわった斜めの水切りが。水切りとは、窓枠の外側下にある板状のもので(↓のサムネイル参照)、これを設置すると壁面に雨だれの跡が残るのを防げます。

この水切りを、ヴォーリズは外側に向かって斜めにすることで、早く水気が切れるようにしています。これ普通の和風建築では真っ直ぐなんです。日本は湿気が多いので、建物が傷みやすく、中で暮らす人の健康を損なうこともあると気付いたヴォーリズが、斜めに傾けることを提案したんですね。

大工さんは大変だったと思いますけど。でもその分建物は守られ、古びた感じがしないのも、よく保たれているのもそのおかげだと言えるかと思います。

これがヴォーリズ建築を見分けるポイントでもあったりしますね。もちろん適切に修復されているから美しいのでしょうけど。馥郁と香る質実なる気品。人が踏んだ分摩滅した階段も、味があるなと思いながら二階へ。上ると講堂があります。





二階にも展示

講堂

手すり

窓枠

窓の外にあるのが「水切り」

講堂入口

講堂


西南学院は1916(大正5)年、現在地とは違う赤坂という所に開設されました。そして翌年現在地に移転。第一校舎、第二校舎が建設された後、本館として建てられたのがこの建物。

礼拝が守れる講堂はミッション系学校にとっては心臓部。派手ではないですが、よく整えられていて、パイプオルガンもあります。

ヘレン・ケラーやリンドバーグ夫妻が来訪し、マーティン・ルーサー・キングの夫人であるC.S.キングが1986年5月に創立70周年記念講演を行ったと聞いています。すごいですね。建物内にあるドージャー記念室には写真があり、そういった歴史の一端を知ることができます。



ルターの展示も◎

修道士だったルター

すごいこと言ってる

音楽も


元寇!防塁!


元寇の解説板


西南学院大の売りは博物館だけにあらず(そりゃそうだ)。ここに来たらもう一つ必見のものがあります。それは元寇の防塁!

去年来たときは見つからなくて泣く泣く帰ったのでリベンジです。今回はちゃんと調べて参りました。一号館の、なんと建物内にあるんですよね。えっと、建物内の屋外。ややこしいですが、一旦建物内に入って、中庭に出るとそこにあるんだそうです。

ルターからヴォーリズを経て、今度は元寇。時代がころころ変わってちょっと眩暈がしますが、堪えましょう。今度は元寇の頃を想像しなければなりません。元寇って・・・、宗教改革よりも前の13世紀ですね。中国が元の時代ですから。日本は鎌倉時代。そんな何百年も前に、一回目は2万8千、二回目は14万もの兵が博多湾岸に進寇してきたって、恐ろしい世界です。

というか、文永の役(1274年)では元軍が百道浜に上陸し、一帯が戦場となったのだから、恐怖は現実のものとなったのです。そのとき神風が吹いて助かったという話は学校で習いましたが、上陸した兵士たちもいて戦ったんですよね。



解説板

解説板

元寇の絵図

元寇防塁


中庭へのドアを開けて外に出ると、生々しい防塁が。これは移築復元されたものですが、草まで生えててリアルです。

防塁は、砂丘の上に粘土を敷いて基盤を安定させた上に、基部幅3.4メートルで石が積み上げられているのだとか。

石の堅牢な防塁の後ろには土で作られたもう一つの防塁があって、二重構造になっていたようです。築かれた防塁の長さは約20キロ。めっちゃ怖かったんでしょうね。怖いどころか日本が存亡の危機にあったということですよね。元軍が無傷で上陸し、博多が占拠されていたらどうなっていたんだろう。日本の歴史は全く違うものになっていたはず。今日本語話してなかったかもしれません。



土塁

防塁

二重構造

防塁


中庭の防塁


さて第一回目の元寇が1274年(文永11)年だったと述べましたが、この時フビライ・ハンは元の皇帝を名乗っていましたが、まだ南宋を滅ぼしていませんでした。

だからフビライにとって最も気がかりだったのは、南宋が鎌倉幕府と組んで元を攻めて来ることでした。

しかし鎌倉時代の日本は外国と軍事同盟が結べるほど国際感覚に長けていなかったので、それはフビライの思い過ごしだったのですが、南宋との同盟を阻止しようとする意図もあって日本に軍隊を送ってきたわけです。

元の冷酷な計算


一回目に日本に侵攻した元の軍隊は、大半が高麗で徴集した兵士たちで、神風で壊滅しても、フビライにとっては大した痛手ではありませんでした。二回目の元寇は南宋を滅ぼした後の1281(弘安4)年に送り出されたのですが、この時の軍隊は征服したばかりの南宋の兵士たちで占められていました。

フビライ(この時はもう世祖)にとってみれば、日本へ侵攻が成功したら利益になりますが、もし失敗したとしても南宋の兵士たちを葬るだけ、強いて言うなら厄介払いになるという胸算用がありました。日本にとっては未曽有の国難で、存亡の危機であった元寇ですが、中国側から見ると全く違った側面が見えてきます。

この博多湾岸で、恐らくこの辺りも戦場になったのでしょうけど、ここで命を落とした人たちが朝鮮人や南宋人(漢人)だったことを思うと、一つの国の思惑が他国の人を死に追いやるという構図が見えてきて、また元の冷酷な計算にも思いが至って、心胆寒からしめるものがあります。



構内

構内

西南学院

売店

夕飯を食べて


久留米に移動して宿にチェックインし、駅で20年来の友人と久留米でお茶。それから宿に戻って一階にあるカフェで夕飯を。宿に食事できるってラクでいいです♪ 明日からに備えて資料を読んでおやすみなさい。



呉座勇一著「陰謀の日本中世史」


一年ほど前に出された呉座勇一の「陰謀の日本中世史」という本があり、私はこれに大いに教えられるところがありました。歴史小説ならばどんな想像を働かせてもいいですし、読者もそれを愉しむわけですが、この本で取り上げられているのは、そうではないトンデモ説や奇説・珍説。その多くが陰謀論を背景としているので本書のタイトルに反映されています。

「〇〇に隠された真実」や「〇〇年ぶりに明らかにされた衝撃の事実!」、「教科書に載っていない〇〇」といった過剰なフレーズで広告が打たれ、面白さ珍奇さを優先するマスコミ・出版界によって拡散されているトンデモ説の多いことよ。

本書では、歴史ミステリー番組であたかも本当であるかのように放送されていることもある「本能寺の変黒幕説」などを挙げ、珍奇な説を叩き斬ってくれています。

更にそれらの提唱者たちがトンデモ説に走る原因として、①一つの面からしか見ず、他の歴史資料に関心を払わない、②状況証拠しかないのに、そこから「こうであろう」と推測して話を作っていく、③論理の飛躍、を指摘しています。

こんなことをなぜここで書いているかというと・・・、キリシタン遺物の世界と、明日から参加する景教の世界には、こういうことがかなりまかり通っているからですね。

「かくれキリシタンはこれを拝んでいたのだろう」という推量、「〇〇という人物は、景教が伝来していた地域から日本に来た」⇒「〇〇は景教徒だ」という論理の飛躍、「この形はキリシタンの証拠だ」という拡大解釈、「こうであるに違いない」という憶測等々、枚挙にいとまがないほどです。

これから11日間、これと戦わなければならないことが正直憂鬱です。疑問に思うことがあっても黙って聞いていればいいんでしょうけど、聞いてるのも辛いような説も展開されることが予想され、表情を曇らせずにいる自信がありません。それでも何でも学ぼうとは思うので来たんですけどね。頑張ります。。(^^;)





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