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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ふわり三都物語 1



何事もタイミングが重要だと思うのですが、今秋は関西へ。六甲山で建築を見るツアーに参加することになったので、このタイミングを逃さず兵庫・大阪・京都の三都をめぐるつもりです。「がっちり」回れそうにないので「ふわり」としました。秋ならではの景色も見たいな (*^▽^*)



与謝野晶子生家跡


今回は羽田から伊丹に飛び、ホテルに荷物を置いて、地下鉄と阪堺線(路面電車)で宿院駅にやって来ました。

こちらは宿院駅からすぐの所にある与謝野晶子生家跡。

与謝野晶子の歌が刻まれたモニュメントと解説板があります。「海恋し 潮の遠鳴り 数へては 少女(おとめ)となりし 父母(ちちはは)の家」。生家跡にぴったりですね。

私が初めて聞いた与謝野晶子の歌は「柔肌の 熱き血潮に 触れもみで 寂しからずや 道を説く君」で、子供だったので一つも意味がわかりませんでしたが、ロマンティズムの中に気風の良さのようなものを感じました。それはこの堺という町で醸成されたものなんでしょうか。後で資料館でしっかり見てみたいと思います。



モニュメント

解説板

与謝野晶子

生家跡

千利休屋敷跡


路面電車の駅から反対側に行くと、千利休屋敷跡。10年ほど前に来た時は小さな庭に石碑くらいだったのですが、少しずつ整備されて、今は夕方になると門が閉まるようになったようです。

昨今の歴史ブームで訪れる人が増えているんでしょうか。特に何もないことがわかっているので、中が見られなくてもOKです。

でもここにキリシタンの茶人たちも来ていただろうと思うとスルーしがたく、ちょっと寄ってみたのでした☆



千利休屋敷跡

千利休屋敷跡

さかい利晶の杜


では千利休と与謝野晶子の資料館がある(時空を超えてこの二人をマッチングさせた妙はすごい)さかい利晶の杜へ参りましょう。

地域の交流センター兼資料館って感じでしょうかね。初めて来ました。

ガラス張りの外観はモダン。そこにフェニックスが生えているのは堺のお約束。モダンで外国に開けた町だった時代を彷彿とさせます。



さかい利晶の杜

さかい利晶の杜

外観

千利休茶の湯館


まずは1階の千利休茶の湯館へ。パンフによると、壁に沿って4つのパートに分かれた展示があるようです。関心があるところを中心に見ていきましょうかね。

「利休と堺をめぐる人々」は、堺に縁がある人々の画像があり、その一人としてザビエルも!

来ただけでなく、しばらく滞在していましたからね。それから小西行長の画像も。住んでましたからね、うん。その辺は順当なところです。「堺とキリシタン」という展示があってもいいくらいだと思いますけど、そこまで願うのは高望みなんでしょうか。

「世界に誇る堺環濠都市遺跡」には発掘品が展示されていました。美術的に凝った展示だけれど、あまり「物」がないので、数点の器でもあるとリアルさが増して良いです。



堺を取り巻く人々

天下人たち

交流した都

陶器

「茶室(床部分)の想定」


「茶室(床部分)の想定」には、茶室の床(とこ)だけが二つ並んでいました。解説によると、利休の若い頃のと最晩年のときのものを再現しているんだとか。

素人目にはあまり違いがわからないのですが、こういったところに利休の創意工夫が見受けられるんでしょうね。



床の解説

利休の資料館

創意工夫

茶の湯の関係図


茶碗

千家十職

千家十職

与謝野晶子生誕140周年企画展


2階に上がると、与謝野晶子生誕140周年を記念する企画展がやっていたので、先に見ることに。

こちらは与謝野晶子・鉄幹の歌を短冊に書いて屏風に仕立てたもので、画は山下新太郎、筆は泥谷文景によるものだそう。コラボ作品ですね。

与謝野晶子は明治から昭和にかけての人ですが、時代が目まぐるしく変わっていくときに、自分をしっかり持って生きていたことが魅力。またその時代ごとの最先端を追い求めていたので、遺された文物の美しさにも惹かれます。

「君死にたまふこと勿れ」で詠まれた弟 壽三郎(ちゅうざぶろう)の従軍記章は貴重。「そこにその人がいたんだ」という確かな感じが、歌と共に迫ってきます。これ、実物を目にできて良かったです。



企画展あいさつ

展示

実家に関する物

弟の従軍記章

君死にたまふこと勿れ

「みだれ髪」の初版

歌巻

歌巻

与謝野晶子の書


実は与謝野晶子は能書家で、それが掛け軸や巻物に仕立てられると、また別の輝きが生まれます。

川勝コレクションと名付けられた資料群ですが、とても美的に完成度が高いように思います。

晶子の才能があり、それを羽ばたかせるプロデューサーもいたことがわかりました。



川勝コレクション



屏風

解説

晶子の書

昭和期の家具


昭和期の家具など、晶子旧蔵資料も美を感じる物で統一されています。この企画展は晶子の美の世界に焦点を当てているんでしょうか。

詠んだ歌からコラボ作品、ひいてはライフスタイルまで、美しいと感じるもので溢れていて、人生と美が共にあったのが晶子だったのかなと思いました。

私も女性だから、この美しさには感服してしまいます ( ̄▽ ̄)



晶子旧蔵資料

新源氏物語

原稿

晶子が贈った帯

日本古典全集

掛け軸


絵に書


与謝野晶子記念館


与謝野晶子記念館


企画展を見終えて、隣の与謝野晶子記念館に入ると、美に惹かれる私の心を見透かしたようなめくるめく世界が。

「晶子の装幀」と題されたこのエリア、見始めたら止まらなくなりました。あぁ、危険。でも素敵。。

すっかり心を奪われて、パチパチ写真を撮ること半時(写真撮影可でうれしい)。この際↓にたくさん上げちゃいます。これでも全部でなくてセレクトしたものなんです。とってもきれいなので、ご面倒でもいくつかだけでもクリックして見ていただけたらなと。

美しく愛らしくて、ロマンティックで、斬新で、個性的で、蠱惑的で、哀愁を帯びていて、印象的で、官能的で、存在感がある・・・。でも装幀は晶子が直接手掛けたのではないから、晶子の世界観が、他のクリエイターに反射して全体が光を放つようになったものですよね。一人の世界で終わらないで、違う分野のクリエイターと協働で作品を生み出していたと見ることができるのかもしれません。



「創作の場」


奥にある「創作の場」は、晶子が執筆活動をしていた書斎をイメージ再現したもの。立てられているのは、晶子自筆の歌百首屏風(複製)。

実はさっきから晶子が自分の作品を朗読する音声が流れていて、液晶画面では晶子の動いている姿も見られます。

最近の人っていいですね。動画で声や姿が残っていて。普段400年前のキリシタンのことを考えているので、資料がたくさんあることにも感激してしまいます。汗


与謝野晶子とキリスト教


さて美にばかり耽溺しているわけにはいきません。晶子はクリスチャンだったので、その部分にも触れなければ。展示をどんなに詳らかに見ても、どうもその点が書かれていないようですが・・・。洗礼を受けたのが亡くなる2年前なので、クリスチャンになったことが創作には影響を及ぼしていないと受け止められているんでしょうか。

だけど最晩年にキリスト教を選んだのは、人生の終着点と捉えることもできます。元々、子供たちをキリスト教主義校に入れるなど、キリスト教に対しては好意的に思っていたのでしょう。しかし若い頃は「自分はいいわ(必要ない)」と考えていたのかもしれません。だけれど自由奔放に生きた後、老年になって思うところがありったのではないかと思われます。

受洗のきっかけになったのは、雑誌の同人や娘たちでしたけれど、自分が納得しなければ、晶子が洗礼を受けたとは考えられません。娘たちが頑張って証したのか、与謝野鉄幹も臨終に洗礼を受けたといいます。せっかくだから、こういう点も展示に反映してほしいなと、お願いモードになりました☆彡





晶子の書いたハガキ

動画

動画

愛用の品々

子供たち

文化学院

創作ノート

晶子の童話

駿河屋


出口付近に再現されていたのは、晶子の生家「駿河屋」の店構え。

街灯まで付けてレトロに仕上げられています。店頭にいるのは竹久夢二のイラスト像。こういうレトロなテイストうれしいです。たぶん写真映えするでしょう。

これが「少女(おとめ)となりし 父母(ちちはは)の家」なん ですね。歌って、口にすると語呂が良くて、中に入ってくる感じがします。自然と覚えるし。歌という芸術文化があることを、感謝しないではいられません (o^^o)


与謝野家から秋田の聖母まで


もう資料館を出るという所でやっぱり気になるのが、晶子とキリスト教(え、その話終わったんじゃなかった?というツッコミはスルーさせていただきます)について。洗礼を施したのは、伊藤庄治郎神父なんですが、この方はのちに新潟司教となり、秋田の聖母を調査して、「奇跡としての超自然性を否定できないので、教区信者の巡礼を禁じない」と発表しました。

秋田の聖母とは、1973年から1982年まで101回涙を流した聖母像のことで、私も見に行ったことがある(旅行記「みちのくキリシタン物語 vol.4」)んですが、もしかしたら晶子の娘さんたちも見に行ったんじゃないかと思って。資料がないのでわかりませんが、カトリック教徒で伊藤司教の知り合いだから可能性あります。

まあ与謝野晶子と秋田の聖母は直接関係ないですけどね。人をたどっていくと広がるなーと思い、脱線して書いちゃいました。だけど与謝野家から涙を流した聖母像までつながるルートは、ちょっと意外で興味深くないですか?(私だけでしょうか...w




生い立ち

駿河屋

店内


一階の観光案内展示室


フロア


1階に戻ると、堺のジオラマがあり、フロアには古地図が描かれていました。

古地図を入念に見ていくと、「御奉行所」「与力屋敷」などの文字が。キリシタン引っ立てられてたかもしれませんね。

堺にザビエルが初めて来た日は、泊まる所がなくて松林で寝たと記録に書かれているんですが、どの辺だったんだろう。

小西行長や西ルイス、日比屋了珪の屋敷はどこだったかわかっていて碑も建てられていますが、他にもたくさんキリシタンがいたはずです。古地図の上をそっと歩きながら、ダウジングのように彼らの居場所を当てられないかと試みてみました(無理;;)。誰か研究してくれて明らかになるといいなぁ。



ジオラマ

住吉祭

フロア

町割り

御奉行所

与力屋敷

明治の地図

1階フロア

堺ゆかりの人々


堺について知ることができるコーナーがあって、ゆかりの人物とその史跡地を紹介していました。

時間あるし一応見ておくかと見出したら、結構知らない情報があって有益でした。何事も侮っちゃいかんですな。

クリスチャンではないけど気になっている鈴木貫太郎が当地で生まれたのを初めて知りましたし、その理由が関宿藩(千葉県内)の飛び地領だったからというのも驚き。

迫害系では、沢庵はペトロ岐部の取り調べしたし、長谷川藤広(通称:左兵衛)は長崎奉行時代にキリシタンを弾圧しました。妹が家康の側室で権勢を振るっていたんですが、長崎の後に堺奉行になっていたんですね。それからほっこり系では、晶子を鉄幹に紹介した住職の寺があるだなんて。

人の人生を追いながら史跡を訪ねることが多いけれど、土地という観点から横断的に人を見ていくのも面白いですね。わざわざ調べようとまでしてなかった人物が、ふっと視野に入ってきたりして。今回は回る時間ないけど、またいつか~。



河口慧海

小西行長屋敷跡

鈴木貫太郎

飛び地領だった

沢庵

堺奉行長谷川藤広

開口神社

晶子を鉄幹に紹介


土を踏み 風に聞き・・・


旅行記というと、司馬遼太郎が『街道をゆく』の執筆にあたり、「土を踏み 風に聞き 人と出会って」書くと言っていたのが思い出されます。交通が便利になって土地は踏みやすくなったけれど、人と出会うのは運によるし、風に聞くのは常人には容易くないように思います。

だけど、試みてはみます。風に聞くというのは、きっと心を開け放って感じ取ること。司馬遼太郎のような知識の土台はないので感興も限定的にならざるを得ませんが、周りに随行スタッフがいない分自分の心の声に耳を傾けることができ、期待されないから気楽です。

今日から3日半、心を開けて、風の声を聞けますように (*´ω`)





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