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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 蒼き切支丹回廊 7



 本日の主な訪問地



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延慶寺


佐々木高行


兜梅




明徳寺へ



明徳寺




明徳寺山門




明徳寺本堂




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弾正社




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天草キリシタン館


天草キリシタン館といえば陣中旗なのですが、重要文化財に指定されているため、本物は最大でも年30日、一回につき一週間しか展示できないのだとか。今はレプリカなんですけど、それでも何度でも見たかったりします。鍋島藩の鍋島大善の子孫に渡され、1995年に寄贈されたこの旗の制作者は、山田右衛門作か、有馬セミナリオか長崎コレジオで描かれたか、大きく2つの説があります。近付いて見ると、何だかイラストのようなテイストですね。陣中旗を見終えて順路を進むと、大きな展示室に出ます。中央に円形の展示、壁に沿って時系列に沿った展示という構成で、人が滞留しない構造になっているのは有り難いです。目を引かれたのは、本渡城の中世城郭から出土した石製印鑑や陶器の皿など。それと「天草のキリシタン墓碑」というコーナーです。かまぼこ型のキリシタン墓碑が一基置かれていたのですが、風化してボロっとこぼれ落ちそうになっていて、何か訴えてくるように感じました。

天草ではキリシタン墓碑は有明海沿岸側の9ヶ所で見つかっているそう。二江、ぺーが墓、岩宗、鬼の城公園、キリシタン館、城山公園、正覚寺、湯島、天草四郎公園だと。本渡の瀬戸で発見されたという鐙(あぶみ)がリアルでした。人が死んだという感じがギュッと伝わってきて。瀬戸は上島と下島の海峡で、今は瀬戸(せど)大橋がかかっている辺り。海を渡る途中討ち死にしたのか。本物が展示されていると迫力が違い、浮かんでくるものがあります。三宅藤兵衛の酒瓶付豪華弁当箱も面白く、天草に鉄砲鍛冶が住んでいたことは初めて知りました。私のような記憶力の悪い者は、本を読んでるだけでは頭に入らなくて、こういう物からの刺激でようやくインプットできるので、実物を見て驚くことが重要だったりします。

壁いっぱいに拡大した島原陣図屏風は、見どころを解説してくれていて親切。中でも大江丸の部分が取り上げられ、「(すでに城中の食糧は尽き)戦いの足手まといにならないように老人、女性、子供は一揆勢自身の手で殺され、葬られることもなく捨て置かれていました」とあったのには衝撃を受けました。

「これ作ったの誰⁉」と感動してしまったのが、原城籠城から落城まで、日にちをカウントしながら一連の動きを追った展示。1/21(86日目)には、一揆軍サイドの動きとして、城中から矢文が来て「城内に三人の大将あり、征伐して残りの者を助けてほしい」と言ってきたことに対し、幕府軍サイドの動きは、信綱は一人も助命しないと明言するも、城中への矢文には、宗門以外の助命を認めるとしたとか。つまり「干殺し」策の指示ですね。それが動くのが2/24(119日目)。信綱らが評定し、城攻めを決定。合い言葉を「国か国」としました。そして3日後に攻め始め、翌2/28(123日目)に原城は陥落。最後の戦いよりもむしろ、それまでの攻防がものすごかったのだと知りました。

潜伏キリシタン関連としては、板踏絵、マリア観音、逆さ観音、隠し十字仏、銭仏、鏡仏、つば仏、大黒天などがありました。板踏絵以外は「複製」の文字もなく、逆さ観音などは大江から発見となっていました。一番信憑性が高く思えたのは大黒天ですね。潜伏キリシタンの家から発見されたと書かれていたので。これからこういった遺物の鑑定に力が注がれるようになってほしいと切望しております。展示室を出た所には学産官の連携事業として、熊本大の安高氏が関わったコーナーがありました。よく各地の資料館で「踏絵」と書かれて展示されている代物が、「真鍮踏絵 制作年代:1931年」とのキャプション付で展示されているのを見て、心の中で拍手喝采。こういった有無も言わせぬ研究発表が、きっと世に蔓延している誤謬の闇を晴らしていくことでしょう。私も落胆せずに地道に情報発信していこうと思いました。



殉教千人塚



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キリシタン墓碑




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